#002 幸せになるために

#002 幸せになるために

本ブログのテーマはサブタイトルどおり「お金とセックスを得て幸せになろう」である。

今後お金とセックスを得る方法について探求していく所存であるが、目的がぼやっとしてしまうと本末転倒のような状況も起こりうる。

そのため、まず目的をはっきりすべく、「幸せとは何か」についてしっかりと考察しておきたい。

幸せとは何か

では、幸せとは何か?

ある人は美味しいものを食べたときに幸せと感じるかもしれない。

ある人は大きな目標を達成したときに幸せと感じるかもしれない。

ある人は誰かと愛を確かめあったときに幸せと感じるかもしれない。

各個人によって幸せの形や尺度は異なってくる。だが、美味しいものを食べたい・・・目標を達成したい・・・愛されたい・・・そういった何かしらの欲求があり、それが満たされることによって幸せという感情は生じる点では同じである。

つまり、幸せを考える上では各個人の持つ欲求が満たされているかどうかがポイントとなるっていいだろう。

マズローの欲求5段階説

欲求についてはアブラハム・ハロルド・マズロー(米心理学者 1908-1970年)が欲求5段階説を提唱している。

 

欲求5段階説によれば、人間の欲求は5段階のピラミッドのように構成されていて、低階層の欲求が満たされると、より高次の階層の欲求を欲するとされるとした。「承認欲求」以下の4つの欲求は足りないものを求める欠乏欲求、最上階層の「自己実現の欲求」は成長欲求と位置づけられている。

冒頭で述べたように欲求が満たされていることによって幸せという感情が生じるとしたが、逆に欲求が満たされていない状況は不幸せであるといえる。

生命活動に関わる「生理的欲求」・「安全欲求」が満たされなければ当然不幸せある。

「社会欲求」が満たされないということは、例えば、家庭・学校・会社等のコミュニティで疎外感を感じる状況ということである。そういった状況はときには自殺にもつながりかねないので、間違いなく不幸せと認定してよいだろう。

「承認欲求」が満たされないということは、例えば、会社でも家庭でもゴミ扱いされているお父さんのような状況だろう。すごく不幸せとまではいえないが、あまり幸せとはいえないだろう。

「自己実現の欲求」については、創造的活動に対する欲求の強い人間が何かしらの理由により創造的活動ができない状況は不幸せといっていいだろう。

自由市場における格差

現代の日本においては、「社会欲求」や「承認欲求」が満たされずに不幸せな状況に陥っている人が多いように思える。

「社会欲求」や「承認欲求」を満たすための前提条件に近いのが、“お金”“愛”を得ることだ。

どういうことか。例えば、「社会欲求」を満たす手っ取り早い方法は家庭を築くことだが、家庭を築くためには、異性からの“愛”を得なければならず、家庭を円満にするには“お金”を得なければならない。「承認欲求」についていえば、“お金”を得る=社会的に自分の能力が評価されている、異性からの“愛”=異性からの評価されているということであり、“お金”と“愛”を得ることはそのまま他者評価と同じと考えてよい。

ところが、現代の日本において全員の人が平等に“お金”と“愛”を得られるわけではない。

なぜなら、“お金”を得るための経済活動も“愛”を得るための恋愛活動もいずれも自由市場がベースとなっているからだ。

自由市場とは弱肉強食の世界であり、そこには格差が必ず生じる。資本・能力・行動力を持ったものが多くのものを得ることができる一方で、資本・能力・行動力を持たざるものは何も得ることができない。それゆえに、現代の日本においては「社会欲求」や「承認欲求」を満たすことができない人たちが一定数いるのだ。

中年男性よ、立ち上がれ

現代の日本では、子どもは宝であり、老人は介護の対象であり、女性はますます優位的な立場に立っている中、成人男性のみが厳しい立場に置かれている。成人男性のうち、若者は夢があるからまだいいとして、夢を失った中年男性はただただ悲惨である。

しかし、今まさに“お金”と“愛”がないために不幸せという中年男性であるあなたは社会や政治などという自分の置かれた状況を恨んでも仕方がない。泥水をすすり、涙と血を流しながらでも“お金”と“愛”を得るために行動を起こさなければならない。

本ブログがその行動を起こすための一助となれば幸いである。